甚大な被害をもたらした東日本大震災から今年で10年。伊豆半島の過去の津波災害にまなび、今後に備えるための企画展です。東西をプレート境界に挟まれた伊豆半島は、昔からプレートの滑り込みによる地震を数多く経験してきました。先人の言い伝えや石碑なども各地に残されています。今回はこれに加え井田明神池の津波の痕跡に関する研究(伊豆半島ジオパーク学術助成対象研究)を紹介し、また防災に必要な備えを改めて確認できる展示となっています。
明治になり、近代国家への第一歩を踏み出した日本は、外交、国防、交通、都市計画等多岐にわたる近代化への取り組みを行い、国の基本的な形を築き上げていきました。その一つである近代測量は、全国統一された精度の地図を作成するため明治12年(1879年)に全国測量・全国地図作成の基礎計画が打ち出され、明治16年(1883年)に測量の基準となる一等三角点を設置する三角測量が実施されることから始まります。 一等三角点を全国各地に設置するための場所を決める「選点※」にあたって、多くの三角点の位置を選点した測量技師に館潔彦(たてきよひこ)氏(嘉永2年(1849年)~昭和2年(1927年))がいます。館氏は、明治24年から明治34年まで全国各地で一等三角点を選点し、選点の過程で数多くのスケッチを残しています。選点のエピソードの一つには前穂高岳の初登頂(明治26年)という偉業もあります。 本企画展では、館潔彦氏の陸地測量部における11年間にわたる選点の旅を、当時使用したと思われる輯製(しゅうせい)20万分1図などからその足跡を追い、当時の測量はどのように行われ、どのような「地図」、「測量機器」が使われたのか、そして「作成された地図」などを紹介するとともに、館氏の御子孫である舘晴美氏より国土地理院に寄贈されたスケッチも併せて展示します。 近代測量の始まりから150年が経ち、測量や地図の作成方法も時代とともに変化しましたが、日本の国土及び国民の生命と財産を守るために必要不可欠である測量や地図の重要さを、第一歩となる記録から感じていただければ幸いです。 ※ 選点(せんてん)とは、測量に先だって予め現地を調査し、設置場所を決定する作業であり、配点密度や後続作業(二等三角等)を考慮し、地盤堅固な場所を選ばなければならない。
2021年3月9日(火曜日)から特別展「津波災害からの復興~東日本大震災から10年、チリ地震津波から61年の記録~」を開催します。
平成23年(2011)3月11日、観測史上最大のマグニチュード9という東北地方太平洋沖地震、それにともなう大津波、その後起こった東京電力福島第一原子力発電所事故、いわゆる「東日本大震災」は、南相馬に甚大な被害をもたらし、市民生活を一変させました。 あの日から10年。少しずつ歩みを進めてきた南相馬ですが、震災の爪痕は現在に至るまで深く残っています。 何が起こり、人々は何を考え、どのように復興への道を探ってきたのか。この10年間を、震災遺産や当時の人々のことばとともにふり返ります。
産総研では、特筆すべき研究成果について、プレスリリース等でウェブ発信を行っています。今回の展示では、2020年にGSJから発信した特筆すべき研究成果13件をまとめて紹介いたします。
「チバニアン」の第2弾。前回の内容に加え、所蔵の標本から、全国各地のチバニアンを集めて展示します。 また、地磁気が逆転するときの「ふらふら運動」を最新の研究成果とともにご紹介します。
「自然共生地域の未来を考える―対馬・山国・福岡の遠隔対話」
建設技術者の方々を主な対象に、Society5.0を実現する新技術に関する取組の情報を提供し、公共工事に係る技術者の知識習得及び技術の普及を図ることを目的として、第15期建設技術展示館「第1回出展技術発表会」を開催します。
近年、大きな被害をもたらす水害が全国各地で毎年のように発生しています。 こうした中、川の氾濫によって自宅が浸水し、取り残された人が命を落とす例や、安全な場所に避難する途中で事故にあう例が発生しています。 本企画展では、自らの住むまちの水害リスクや水害時に想定される危険箇所を事前に把握し、安全に避難するための一助となる「マイ防災マップ」の必要性や作成方法について紹介します。
2011年東日本大震災から10年の節目を迎え、様々な分野において復興10年の総括が進められている。震災発生後からの我々の取り組みのうち、特に被害調査から得られた知見、仙台市の復興計画策定におけるシミュレーションの活用などの成果を振り返るとともに、将来の津波に強いコミュニティの実現に向けた展望と課題を論ずる。